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人っ子一人出会わない広大な農地を海に向かって歩く。

松林がまばらに彼方に見えるので、きっとあそこが荒浜だ、と急ぐ。

大沼を迂回して、1時間ほど歩いてようやく間近に松林が見えたところで、海岸の道路手前の陸橋が工事中。渡れない。

おまけに工事車両が入って来て、暗に出ていけ、という作業員の素振りに、陸橋を渡ることを断念。

仕方なく引き返す。元来た道を慎重に戻った。

広大な農地を横目に見ながらふと考える。1区画が1ha。100m x 100m。これが何ブロックもある。

後から地図で見ると、3.3km四方とすると約1000ha。なるほど、1000ha=1000町歩の広さってこのくらいなのだ。

300W(1.65m×0.992m)の太陽光パネルを平置きで敷き詰めると、約665万枚が設置できる。

システム容量としては約2MWとなり、発電量は年間200万MWhとなる。

福島第一原発の1号機から6号機までの6機全体(稼働率80%)の2009年度の1基あたりの

平均年間発電量は約550万MWhであったようなので、38%を賄えるということになる。

 


 

津波からの農地の復興は海水の問題もあり時間はかかるだろうが、放射能の影響がない分福島県とは事情が異なる。

以前のような水田地帯にいつか戻るだろう。

ホテルへ戻りチェックアウトして石巻の妻の実家へ向かう。

3.11では、幸い高台に家があったので津波の被害を直接には受けなかったが、激しい揺れで家の土台はヒビ割れている。

もちろん市内の多くが水に浸かり、甚大な被害であったが、7年の経過は津波そのものの痕跡を徐々に薄めてはいる。

しかし、あれだけの大きな災害は実はその瞬間だけではなく何年にもわたって人々を苦しめ続けることがはっきりしてきた。

神戸の地震がそうであったようにニュースにはなりにくいが、地域をボディーブローのように揺すり、ダメージを与えていく。

その意味であの巨大地震と巨大津波の被害はまだまだ継続し続けているといえる。

 

最も顕著に表れているのが各被災地での人口減少だ。

元々、地方経済の衰退によって減少傾向にあった市町村の人口減が大災害で加速してしまった。

少々の復興資金の投入では地域から若者が出ていくことを止めることは難しい。

復興住宅などの入れ物を新しくしたり、堤防を高くして安全に配慮し、公共事業に資金を投入して一時的な経済効果を上げても、

その後の仕事の目処がなければ永住しにくい。

教育を受けるのも、結局は大都市依存になる仕組みは変わっていないため、若者減少に歯止めはかからない。

つまり、肝心の経済を永続的にまわすための取り組みまでなかなか手がまわらずに7年間が過ぎてしまった、というのが実情だろう。

津波の直後に実家の母はデイサービスが流され通う場所が無くなってしまい、

東京に引き取って3年後にこちらで亡くなったわけだが、今思えば母も被災者の一人といえなくもない。

しかしながら当時は無我夢中で介護をしていたので、そこまでは思い到らなかった。

 

<次週へ続く>

 

(記:小野 令)

 

*******************************記者紹介************************************

元構造解析技術者。地震大国日本で、原発再稼働に対して異議を唱える。

25年前から埼玉県ときがわ町をフィールドとした月イチ林業隊にて間伐、下草刈り活動を継続中。

定年後、多摩市グリーンボランティアに参加。DIY好き。

現在はフレンドツリーサポーターズの副代表を務める。年間50日程、山仕事に従事している。

 

 

 

【オフグリッド生活の楽しみ-第14話】桜が咲いて新年度が始まりました。心機一転。

ところで、RE100って何?

http://res.cloudinary.com/hv7dr7rdf/image/upload/v1525998241/f5a551f08c30a172fb1164459eee8ea9_s_a0ccdr.jpghttp://res.cloudinary.com/hv7dr7rdf/image/upload/c_crop,h_480,w_480,x_80,y_0/h_150,w_150/v1525998241/f5a551f08c30a172fb1164459eee8ea9_s_a0ccdr.jpgaltenergyオフグリット生活蓄電連載offgridhouse    人っ子一人出会わない広大な農地を海に向かって歩く。 松林がまばらに彼方に見えるので、きっとあそこが荒浜だ、と急ぐ。 大沼を迂回して、1時間ほど歩いてようやく間近に松林が見えたところで、海岸の道路手前の陸橋が工事中。渡れない。 おまけに工事車両が入って来て、暗に出ていけ、という作業員の素振りに、陸橋を渡ることを断念。 仕方なく引き返す。元来た道を慎重に戻った。 広大な農地を横目に見ながらふと考える。1区画が1ha。100m x 100m。これが何ブロックもある。 後から地図で見ると、3.3km四方とすると約1000ha。なるほど、1000ha=1000町歩の広さってこのくらいなのだ。 300W(1.65m×0.992m)の太陽光パネルを平置きで敷き詰めると、約665万枚が設置できる。 システム容量としては約2MWとなり、発電量は年間200万MWhとなる。 福島第一原発の1号機から6号機までの6機全体(稼働率80%)の2009年度の1基あたりの 平均年間発電量は約550万MWhであったようなので、38%を賄えるということになる。     津波からの農地の復興は海水の問題もあり時間はかかるだろうが、放射能の影響がない分福島県とは事情が異なる。 以前のような水田地帯にいつか戻るだろう。 ホテルへ戻りチェックアウトして石巻の妻の実家へ向かう。 3.11では、幸い高台に家があったので津波の被害を直接には受けなかったが、激しい揺れで家の土台はヒビ割れている。 もちろん市内の多くが水に浸かり、甚大な被害であったが、7年の経過は津波そのものの痕跡を徐々に薄めてはいる。 しかし、あれだけの大きな災害は実はその瞬間だけではなく何年にもわたって人々を苦しめ続けることがはっきりしてきた。 神戸の地震がそうであったようにニュースにはなりにくいが、地域をボディーブローのように揺すり、ダメージを与えていく。 その意味であの巨大地震と巨大津波の被害はまだまだ継続し続けているといえる。   最も顕著に表れているのが各被災地での人口減少だ。 元々、地方経済の衰退によって減少傾向にあった市町村の人口減が大災害で加速してしまった。 少々の復興資金の投入では地域から若者が出ていくことを止めることは難しい。 復興住宅などの入れ物を新しくしたり、堤防を高くして安全に配慮し、公共事業に資金を投入して一時的な経済効果を上げても、 その後の仕事の目処がなければ永住しにくい。 教育を受けるのも、結局は大都市依存になる仕組みは変わっていないため、若者減少に歯止めはかからない。 つまり、肝心の経済を永続的にまわすための取り組みまでなかなか手がまわらずに7年間が過ぎてしまった、というのが実情だろう。 津波の直後に実家の母はデイサービスが流され通う場所が無くなってしまい、 東京に引き取って3年後にこちらで亡くなったわけだが、今思えば母も被災者の一人といえなくもない。 しかしながら当時は無我夢中で介護をしていたので、そこまでは思い到らなかった。   <次週へ続く>   (記:小野 令)   *******************************記者紹介************************************ 元構造解析技術者。地震大国日本で、原発再稼働に対して異議を唱える。 25年前から埼玉県ときがわ町をフィールドとした月イチ林業隊にて間伐、下草刈り活動を継続中。 定年後、多摩市グリーンボランティアに参加。DIY好き。 現在はフレンドツリーサポーターズの副代表を務める。年間50日程、山仕事に従事している。      -再生可能エネルギーの総合情報サイト-
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