中学に入学した時の初めての理科授業の冒頭で先生に言われたことを急に思い出しました。

 

「なるべく薄いノートを使ってください。」

 

その後に、クラスメート全員に対して先生が質問をしたのです。

 

「なぜかわかりますか?」

 

ちょっと面食らった記憶があります。
なんで面食らったのか、理由はこんな感じだったと思います。

・小学校の時は教えてもらうことが当然だったのに、教えてくれないという驚き。
・結局自分で答えを導き出すことが出来た喜び。

中一の私は恐る恐るこんな風に答えました。

 

「使い切るという経験を重ねることの充実感を味わう為です。」

 

焦りながら自分なりに一生懸命考えて出した答えでした。

 

「そうだよくわかったね。」

 

その後その先生に褒められることはなかったのですが、
とても嬉しかったことを覚えています。

 

小学校時代の私はノートは最初の5ページぐらいしか使うことがなくあとは適当、
今でも変わらないのですが継続することが苦手で、通信教育の類も最後までやり遂げたことがありませんでした。
なんで親はやっていないということを確認しないのだろうと常に思っていました。
継続できない自分を自覚して劣等感を抱き、コツコツと継続できる人に対して尊敬の念を抱いていました。
継続も大切な才能だなぁと今でも思っています。

 

先ほど鉛筆を捨てることにしました。

 

もう小型の鉛筆削りでは回せないぐらいに短くなって、この雄姿(先が尖った状態)のまま葬るのか、先が丸くなって葬るのか
迷った挙句、先がとがったまま葬ることを決定しました。

 

そしてその葬り先はこちらです。

 

2015年6月に始めたので1年半が経過したぐらいです。
インクの類の使い切ったものをすべてここに入れて保管をしているのです。
私にとって、業務上で書くという行為のほとんどは日報を書くことです。
自分が行ったことをそこに記し、何を思ったのか改善点や反省点、また新しいアイディアなんかを日報に書き記しています。
それは私にとって考えることであり、思考をループさせないために自分にとってはとても大切なことなのです。

 

考えることと書くことは一緒であると常々思っています。
自分の考えを伝達するために紙に書いたり。人に説明をしながら考えをまとめたり、、、

 

継続が出来ない自分への最大のエールは、やってきたことの可視化です。

 

今日も南アルプス天然水の空ボトルに入ったインクを振りながらニヤニヤしています。
でも、そのうち他の人の使い切ったインクのボトルを集めだしやしないか、
2リットルのペットボトルとかに入れなおしたりして、
なんかそういう台無し感にあふれることを思いつく自分に、なんか不安な気分になります。

 

自分を騙すことは出来ないって解っているのに、、、

 

 

(記:髙橋眞剛)


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